コイヤノココロ

<コイヤ>とは何者?
何をしようとする集団?
お伝えしたいと思います。
その熱きココロを。

ウェブサイトをお訪ねいただき、ありがとうございます。

ウェブサイトをお訪ねいただき、
ありがとうございます。

です。

コイヤは、
日本の木で、
人とモノ、作る人と使う人、暮らしと地域、地域と地域をつなぐ
デザイン・プロジェクトです。 

さまざまな立場で木に関わる仕事や活動をする人たちが、
ある思いを一つにして動きはじめました。

コイヤは、日本の木で、
人とモノ、作る人と使う人、
暮らしと地域、地域と地域をつなぐ
デザイン・プロジェクトです。 

さまざまな立場で
木に関わる仕事や活動をする人たちが、
ある思いを一つにして動きはじめました。

その思いとは、
どうにも拭いきれない


違和感!
モヤモヤ! 

世の中 なんだか
変なことに
なってないか?

という思いです。

簡単、便利、安価、
効率、均一こそ正義。
ほんとにそうか?

もう随分と長い間、
私たちを取り巻く社会は、
簡単、便利、安価なモノづくりを追求してきました。 

素晴らしいことです。

日々の暮らしに役立つ、
より簡単で便利なモノを、より安価に次から次と手にできる。
私たちは、どれだけその恩恵に与ってきたことでしょう。

経済の理論が主導する効率化・均一化の成果には感謝するばかりです。

でも。でも、です。その背後に、ひしひしゾワゾワと迫ってくる、
違和感! モヤモヤ! が、コイヤにはあるのです。

「必要なモノはいつでも手に入るし、
ダメになったら捨ててしまって、また買えばいい」

そんな消費行動が当たり前になって、
何かとても大切なことを失くしてしまっていないか?

そんな、違和感! モヤモヤ! です。

もう随分と長い間、私たちを取り巻く社会は、簡単、便利、安価なモノづくりを追求してきました。素晴らしいことです。日々の暮らしに役立つ、より簡単で便利なモノを、より安価に次から次と手にできる。私たちは、どれだけその恩恵に与ってきたことでしょう。経済の理論が主導する効率化・均一化の成果には感謝するばかりです。

でも。でも、です。

その背後に、ひしひしゾワゾワと迫ってくる、
違和感! モヤモヤ! が、コイヤにはあるのです。

「必要なモノはいつでも手に入るし、ダメになったら捨ててしまって、また買えばいい」そんな消費行動が当たり前になって、何かとても大切なことを失くしてしまっていないか?

そんな、違和感! モヤモヤ! です。

消費者と呼ばれて暮らしてきて、
私たちが失ってきたこと。

私たちは、日々の暮らしの中でさまざまなモノを買って使います。 

そしてそんな私たちは、いつの頃からか、
消費者、と、呼ばれるようになりました。
裏を返せば、私たちの元に届けられる多くのモノが、
消費されるモノとして作られているということになります。

モノ=単なる消費の対象。

そんな社会構造の中に取り込まれて暮らしていれば、
モノへの愛着、素材への関心や理解、
作った人への興味などが損なわれていくのも
仕方のないことかもしれません。

もそもそも消費を目的に作られたモノには、
使う人に愛着を持ってもらうことが想定されていない
ともいえるのですから。

消費者として日々を過ごすことにすっかり慣れてしまって、
知らず知らずの内に、人々が失ってきた大切なことがある。

それを「生活者として、生活を豊かにする力」と云った人がいます。

秋岡芳夫さんです。

私たちは、日々の暮らしの中でさまざまなモノを買って使います。 

そしてそんな私たちは、いつの頃からか、消費者、と、呼ばれるようになりました。裏を返せば、私たちの元に届けられる多くのモノが、消費されるモノとして作られているということになります。

モノ=単なる消費の対象。

そんな社会構造の中に取り込まれて暮らしていれば、モノへの愛着、素材への関心や理解、作った人への興味などが損なわれていくのも仕方のないことかもしれません。

そもそも消費を目的に作られたモノには、
使う人に愛着を持ってもらうことが想定されていないともいえるのですから。

消費者として日々を過ごすことにすっかり慣れてしまって、知らず知らずの内に、人々が失ってきた大切なことがある。それを「生活者として、生活を豊かにする力」と云った人がいます。

秋岡芳夫さんです。

秋岡芳夫さんの教え
ー50年前に未来を思った先人ー

秋岡芳夫(1920-1997)さんは、
消費社会の行く末を案じ、逸早く警鐘を鳴らしたデザイナーでした。
高度経済成長期の真っただ中のこと。
引く手あまたの工業デザイナーであったにもかかわらず、
秋岡さんは、自らその仕事に見切りをつけ、「立ち止まったデザイナー」を名乗ります。
そうして「消費者をやめて愛用者になろう」というスローガンを掲げ、
日本各地で独自の生活デザイン運動を展開しました。
そんな秋岡さんが残した、今なお色褪せない、今こそ改めてかみしめたい言葉があります。

いくつかご紹介したいと思います。

秋岡芳夫さんの教え
ー50年前に未来を思った先人ー

秋岡芳夫(1920-1997)さんは、消費社会の行く末を案じ、逸早く警鐘を鳴らしたデザイナーでした。高度経済成長期の真っただ中のこと。引く手あまたの工業デザイナーであったにもかかわらず、秋岡さんは、自らその仕事に見切りをつけ、「立ち止まったデザイナー」を名乗ります。

そうして「消費者をやめて愛用者になろう」というスローガンを掲げ、日本各地で独自の生活デザイン運動を展開しました。そんな秋岡さんが残した、今なお色褪せない、今こそ改めてかみしめたい言葉があります。

いくつかご紹介したいと思います。

現代の専門分化した生産機構の中では、考える人・作る人・売る人・買う人が全く別の人なのです。あなたは、他人の考えてくれたもの、他人が作ってくれたものを買って来てただ使うだけなのです。

『割り箸から車まで』より

道具を使える動物は、チンパンジーとかラッコとかいろいろありますが、しかし、道具を作る動物は人間だけです。この点に注目するならば、「人間らしさ」の第一の条件は、道具を作って生活を発展させるということにある、といってもいいと思います。・・・ですから、モノづくりに関わる事は、「くらし」や「人間らしく生きる」事を見つめ直すことに繋がります。
いまは高度工業化社会です。この生産技術が非常に伸びた社会のなかで、工業製品を消費して暮らしている私たちは、いま、「あつらえる」「繕う」「仕立てる」といった生活技術を身につけ直し、それを復権させることがぜひとも必要なのです。

モノを「消費すること」から、「あつらえる」「繕う」「仕立てる」といった生活技術を身につけた「愛用する」生き方の復権が求められています。

消費者から愛用者へ。生活に参加する生き方が、必要だと思うのです。

『新和風のすすめ』より

<コイヤ>の思い
ー50年後にバトンを受け継いでー

マスプロダクトデザインの危うさと
地域の衰退に憂いを抱いた僕たちは、何もわからないままに、
地域の山に、そしてその山に生えている杉に出会いました。 

そして教えられたのが「貧しさ感」でした。

そこにある豊かな資源を忘れ、便利で簡単で安価なモノを求め、
ついには身近にある大切な故郷や、風景や、暮らしを忘れて生きていくことの現代的貧しさ。

解決策を求めて僕たちは、2002年<日本全国スギダラケ倶楽部>、通称<スギダラ>を立ち上げました。
一市民として未来のために何ができるか? 豊かさとは? 幸せとは? デザインに何ができるか?
そうした思いを共有しながら、18年の歳月を経て
スギダラには2000人を超える仲間が集い、未来を見つめる連携ができました。
地域の資源で、地域の人たちが作り、あつらえ、直して、使って循環する小さな連携。
その小さな仕組みがつながり、大きな力となって、
互いに支え、豊かさを育むモノづくりを目指す。

このスギダラの思いは、時を経て
コイヤの活動につながることになりました。

<コイヤ>の思い
ー50年後にバトンを受け継いでー

マスプロダクトデザインの危うさと地域の衰退に憂いを抱いた僕たちは、何もわからないままに、地域の山に、そしてその山に生えている杉に出会いました。そして教えられたのが「貧しさ感」でした。

そこにある豊かな資源を忘れ、便利で簡単で安価なモノを求め、ついには身近にある大切な故郷や、風景や、暮らしを忘れて生きていくことの現代的貧しさ。解決策を求めて僕たちは、2002年<日本全国スギダラケ倶楽部>、通称<スギダラ>を立ち上げました。一市民として未来のために何ができるか? 豊かさとは? 幸せとは? デザインに何ができるか?

そうした思いを共有しながら、18年の歳月を経て
スギダラには2000人を超える仲間が集い、未来を見つめる連携ができました。地域の資源で、地域の人たちが作り、あつらえ、直して、使って循環する小さな連携。その小さな仕組みがつながり、大きな力となって、互いに支え、豊かさを育むモノづくりを目指す。

このスギダラの思いは、時を経てコイヤの活動につながることになりました。

ひとりひとりの
生活者としての力を取り戻すために。

コイヤにとって、使う人は、買うだけの消費者ではありません。 
共に作る「共創者」です。
私たちは、必要なモノを共有し、助け合い、「愛用」して生きる
新しいくらし方を模索していきます。

山で木を切る人も、製材所で木を加工する人も、家を建てる人も、
家具を作る人も、そして家に住む人も、共にくらしを支える仲間です。

モノづくりに参加し、共に考え、
豊かさを進化させていく生活者としての力を、
ひとりひとりが取り戻す。

そんな活動をコイヤは推進していきます。

コイヤにとって、使う人は、買うだけの消費者ではありません。共に作る「共創者」です。

私たちは、必要なモノを共有し、助け合い、「愛用」して生きる新しいくらし方を模索していきます。

山で木を切る人も、製材所で木を加工する人も、家を建てる人も、家具を作る人も、そして家に住む人も、共にくらしを支える仲間です。

モノづくりに参加し、共に考え、豊かさを進化させていく生活者としての力を、ひとりひとりが取り戻す。

そんな活動をコイヤは推進していきます。

作る人と使う人を
ひとつにするモノ作り。

コイヤがお届けするのは、単なるモノではありません。 
コイヤのモノはひとつのはじまりです。
近くの仲間と、近くの作る人たちと、一緒にくらしを考えること。.
その意味や楽しさを身をもって知り感じるために、
使う人が、モノづくりに参加したり、つくる人に相談したり、
モノづくりの現場である工場・工房、
さらには貴重な資源の源である森を訪ねたりする。
そんなつながりを生むこと、
そんなつながりを未来に伝えていくことが最終的な目標です。
あなたが暮らしに取り入れる一品を、あなたの身近で作ることができる。
そんな<コミュニティー生産>を、
また新しいカタチで実現することが願いなのです。
あ。コミュニティー生産。ちょっと難しい言葉を使ってしまいました。
補足のために、再び秋岡さんの言葉を借りたいと思います。

コイヤがお届けするのは、単なるモノではありません。コイヤのモノはひとつのはじまりです。近くの仲間と、近くの作る人たちと、一緒にくらしを考えること。

その意味や楽しさを身をもって知り感じるために、使う人が、モノづくりに参加したり、つくる人に相談したり、モノづくりの現場である工場・工房、さらには貴重な資源の源である森を訪ねたりする。
そんなつながりを生むこと、そんなつながりを未来に伝えていくことが最終的な目標です。

あなたが暮らしに取り入れる一品を、あなたの身近で作ることができる。そんな<コミュニティー生産>を、また新しいカタチで実現することが願いなのです。

あ。コミュニティー生産。ちょっと難しい言葉を使ってしまいました。補足のために、再び秋岡さんの言葉を借りたいと思います。

工業でものを作る第一生産、それから、問屋さんの力も借りて産地形成をして伝統的な工芸品のようなものをつくっていく第二生産、それから、どんなオーダーにも応えてものを作る第三生産(コミュニティー生産)がそれぞれ必要です。

『新和風のすすめ』より

そこにある
豊かな資源、技術、伝統・文化、そして人。

そこにある 
豊かな資源、技術、伝統・文化、
そして人。

消費社会は、モノを消費することで経済が動く社会です。
つまり私たちは考えないで、買うだけです。
そしてそのような社会では、永遠にお金が必要になります。 
目の前にある資源ではなく、お金が必要なのです。

ほんの50年前に、先人は、未来のために山に木を植えました。
50年後が豊かになるためにです。ところが、その苦労を思うことなく、
私たちは今その資源を放っています。

そこにある資源、その周辺にある技術、伝統・文化を
再びより豊かなものとして、未来への価値にして
バトンを渡せるかどうかは、私たちひとりひとりの、
人の思い、人の力に、かかっています。

消費社会は、モノを消費することで経済が動く社会です。つまり私たちは考えないで、買うだけです。
そしてそのような社会では、永遠にお金が必要になります。 目の前にある資源ではなく、お金が必要なのです。

ほんの50年前に、先人は、未来のために山に木を植えました。50年後が豊かになるためにです。ところが、その苦労を思うことなく、私たちは今その資源を放っています。

そこにある資源、その周辺にある技術、伝統・文化を再びより豊かなものとして、未来への価値にしてバトンを渡せるかどうかは、私たちひとりひとりの、人の思い、人の力に、かかっています。

つながりを 
もういちど。

国や企業に頼っていても、何かのせいにしても何も起こりません。
未来は私たちひとりひとりの手にあります。
未来は来るものではなく創るものです。

まだまだ課題は山積です。見えないことだらけです。
コイヤの活動もそうです。
でも、だからこそ、やる意味があるのです。

はじめなければ、はじまらない。動かなければ、動かせない。

かつて豊かさの源だった
つながりを、
また新しいカタチで
もういちど。

小さなつながりの、大きなつながりが、
これからの豊かさへの
希望や旗印になれたらと思うのです。

国や企業に頼っていても、
何かのせいにしても何も起こりません。
未来は私たちひとりひとりの手にあります。
未来は来るものではなく創るものです。

まだまだ課題は山積です。
見えないことだらけです。
コイヤの活動もそうです。
でも、だからこそ、やる意味があるのです。

はじめなければ、はじまらない。
動かなければ、動かせない。

かつて豊かさの源だったつながりを、
また新しいカタチでもういちど。

小さなつながりの、大きなつながりが、
これからの豊かさへの
希望や旗印になれたらと思うのです。

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